飯田 史彦の本
人生の価値―私たちは、どのように生きるべきか (PHP文庫)
福島大学助教授、飯田史彦氏が書いた生きがい論シリーズの一冊。 本職は経営学でいらっしゃるようですが、ベストセラーになった『生きがいの創造』の著者という方が通りがいいでしょうね。 特定の宗教・思想信条に傾かない「中立の立場」という観点から、出来る限り冷静に客観的に、生きることについて考えようという姿勢が伝わってきます。ただしそうであればこそ、生きるということについて他者に通用することを書くためには客観的な証拠が必要になるわけで、飯田氏はそれを退行催眠による前世記憶に求めています。この本の多くの命題は、その根拠として退行催眠の結果を引用して論証されているので、そもそも退行催眠による前世記憶が客観的な事実であるのかどうか、ということが本自体の説得力を決めると言えます。 例えば前世記憶については、下記のような問題点も指摘されており、飯田氏の書いている「多くの退行催眠結果に共通する点(光の存在など)」は、催眠療法家のディレクションの様式からきている記憶創造の結果かもしれず、客観的に本書の内容を確認しようと思えば、多数のレポートに当たると共に、信頼できる療法家の下で、自らも退行催眠を経験してみるということが必要になるでしょう。 ■「前世療法」の臨床心理的検証(『トランスパーソナル心理学/精神医学』Vol.5 No.1 http://www.sagami-wu.ac.jp/ishikawa/PLTexamination.pdf 但し文章の構成、描写などから信頼の置ける人柄であることは伝わってきます。 この本の読者は(最後の「挑戦状」にもあるように)ただ「こう信じれば人生が楽になる」という願望と、「実際にこの通りに世界は構成されている」という事実とを混同せず、あくまで後者に添っていくことが飯田氏の本望であることを受け止めるべきでしょう。
著者の本質は、人事・労務管理、つまり会社で人をどうコントロールするかなのだが、重い病気やハンディキャップを持ったり、早死にする家族など、自分から見て周囲の苦をもたらす人は皆自分を成長させる“材料”と書ような考え方に賛同できる人はいるのだろうかと思う。
「愛するため」に生きていると書く著者は、チェチェン・ウイグル・チベットなど国連も大国を慮って不作為のまま放置している、社会的影響力が大きい地域の支援でも訴えればどうか。 「私はどうしても女性として生まれたかったので、両親が子作りをする作業中を狙って、女性の染色体を持つ精子を、卵子の方へと誘導していきました」の記述については、この覗き野郎に不妊や性別産み分けの謎を解明させ、親の望むようにコントロールしてあげればどうかとあきれるしかない。 私は本書で読破した彼の著書は6冊目になるのだが、何冊にも亘って勝手な作り話を披瀝した挙句、自分の書いてきた事に関して、さも“つづく”とでもするように疑問を投げかけ終わっている本書について、それでもまだ高い評価を付ける、だまされ続けるた末に突き放される真面目な読者に対して「気は確かか?」と問い詰めたい気分で満たされている。
私は20年近く神経症を患っていました。数年前に、ほぼ完治というところまで辿り着けましたが、未だ不安定な部分も多く、若いのに更年期障害や自律神経の乱れに苦しんでいました。
ここ最近、また3ヶ月以上「軽症うつ」状態に陥り、気が滅入っていましたが、この本を読んだ直後、すっと心が軽くなり、たった1日で軽症うつ状態から抜け出すことができました。 カウンセリング以上の効果があるかも・・・・・!
飯田氏の著作は生きがいを失った人に対して強い論理性で励ましてくれるものが多いが、この本を読んで突き放されたと思った読者もいるかもしれない。しかし、この本で氏は依存的に生きがいを持とうとするのではなく、自らの足で歩んで行くことを次段階の課題として読者に心がけてほしいと訴えていることを強く感じることができる。一瞬不安になるがやはり強く励まされてしまう本である。
飯田氏の著作は生きがいを失った人に対して強い論理性で励ましてくれるものが多いが、この本を読んで突き放されたと思った読者もいるかもしれない。しかし、この本で氏は依存的に生きがいを持とうとするのではなく、自らの足で歩んで行くことを次段階の課題として読者に心がけてほしいと訴えていることを強く感じることができる。一瞬不安になるがやはり強く励まされてしまう本である。
飯田 史彦の本人生の価値―私たちは、どのように生きるべきか (PHP文庫)
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