沢木耕太郎の本
テロルの決算 (文春文庫 (209‐4))
昭和35年、僕は小学校5年の秋のこと。多分友達と遊んでいた。そしてまたも多分土曜日(か日曜日)・・家に父がいたと思うから。当時は土曜日は昼まで努めていた時代。何か忘れ物をしたかの理由で家に帰ったら、お父さんが「えらい事になった」と唸っていた。「浅沼さんが刺された」「浅沼さんって誰?」「社会党の偉い人や・・」・・・まあこんな会話をした記憶がある。でも僕はそれから遊びに出て行ったからのん気なものである。その後、テレビや新聞で刺したのがまだ若いお兄さんであったこと等々、さらにすごく有名になった刺された瞬間の1枚の写真。ある意味でものすごく心の中に残った事件であった。ただ昨今の秋葉原の事件と違って人を刺すのは一緒でも昔のは「考えさせるもの」があったですね。
後日、事件のあった日つまり昭和35年10月12日を調べたら土曜日でも日曜日でもなかった。でもあの日、確かにお父さんが家にいたよなあ。
昭和35年に起きた社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件を扱ったドキュメンタリー作品。犯人と浅沼の生い立ちから事件までの経緯が関係者を含めて小説風に語られるのだが、豊富な取材に裏付けされているため、語り口に不自然さを感じさせない秀逸な出来。事件が起きた時、私は4才。事件の概要は後に知るのだが、右翼の若者が社会党の委員長を刺すと言う、余りに図式的な構図に当時は興味を持てなかった。本書はそれを覆す出来。
本作は戦後のマルクス主義の蔓延とその反対勢力との軋轢を背景に、全く異なる人生を歩んでいた二人をカット・バックで描きながら、最後に両者の運命がクロスする様を巧みに活写している。本来なら、犯人のみに焦点を当ててしかるべき所を、被害者の浅沼の人生をも追った事で物語に厚みが出ている。何より二人の人間性の掘り下げが深い。犯人も単純な右翼の活動家としてではなく、家族関係や本人の純粋さから、徐々に孤立感と焦燥感そして誤った使命感を深めていった人間として描かれる。また、茫洋としたイメージが強い浅沼に、このような紆余曲折した闘いの歴史があった事にも驚かされた。疲弊の果ての"マアマア居士"であり、彼も孤独の人だったのだ。麻生久なるボス的存在も初めて知った。二人の人生ドラマを描きながら、戦後の社会党の混乱を初めとする"時代"の空気を濃密に描こうとした意図が感じられる。 その時代の中で、偶然と必然の積み重なりの末に起きた凶行を、緊迫した筆致で描き切ったドキュメンタリーの傑作。
日比谷公会堂で演説中に刺殺された、浅沼稲次郎と17歳のテロリスト山口二矢の人生の交錯を描きだしている。人生の長さは異なるが、2者が辿った愚直に、そして直線のような人生を丹念に調べ、そして交錯までの過程を冷静に綴っている。人物を生き生きと描き出す著者の力量に唸らされた。
すべてのモヒカン族は道を譲れ!!!!!!
一言で逝ってしまえばそういうことになってしまう罠 犯人の少年や刺殺された浅沼委員長のことより少年の父親が素敵すぎる 少年は周りの人間に影響を受けたり葛藤をしつつ成長してああなってしまうのだが 父親のほうは自由主義者でかついろいろあって大物自衛官なんだけど 事件の後も自分と息子はまったくの無関係と辞表をなかなか出さなかったり 取り調べ中に社会人入学する大学の入学式にいかないと、ってなったり 情に厚いけど基本的には理を突き通す人間であるわけ モヒカン族が父親になって頭のいい子供を育てるとどうなるか そういう事例といえるかもしれない。いや、ならないな
山口二矢についてはよく書かれていた。しかし、浅沼稲次郎については、事実を踏まえたいがゆえか、くどい。取材したことを全てを書き過ぎだ。あまりにも多くの記録を整理仕切れずページを割いてしまったのか。むしろ、むしろ、山口二矢を膨らませて描写した方が読み応えが出たと思う。
沢木耕太郎の本テロルの決算 (文春文庫 (209‐4))
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