ローマ人の物語の本

最後の努力 (ローマ人の物語 13)

 
ローマ帝国に脱力感(2009/05/07)
 3世紀にはゲルマン人達の侵入が激しくなった。安全保障が成り立たなくなれば、農作物の生産量は落ち、輸送も困難になる。インフレの到来である。

 ローマ皇帝とは、自ら軍を率いて敵と戦い、さらに経済政策も行うスーパーマンであることが求められる。しかし、アラブ地方、トルコ、フランス、北アフリカ、イギリスを1人で統治するのはもう無理。で、筆頭皇帝の下、複数の皇帝が地域を分割して担当することになった。

 ところが彼らがで内戦をおっ始めるのである。そんなことしてる場合じゃないだろうに、皇帝が国より地位を求めだした。ああ、そんなのローマ人じゃない。最後にはキリスト教を味方に付け、キリスト教が認めた王ということで他人を納得させる皇帝が勝ってしまった。コンスタンティヌスである。

 彼はあろうことかローマを捨て、キリスト教のための新たな首都をビザンティウムに築く。彼の名を取ってコンスタンティノポリス。現在のイスタンブールである。嗚呼、もうローマは政治的にはお飾りになってしまった。もはや栄光のローマ帝国は無い。
 
ローマ皇帝って何だったんでしょう(2007/11/24)
ローマ帝国が元首制から専制君主制へと大きく舵を切った、キリスト教が世界宗教へと変質した、そして、ヨーロッパが中世への第一歩を踏み出した、ディオクレティアヌス帝からコンスタンティヌス帝の治世をとりあげた巻である。最近、キリスト教芸術とキリスト教史に興味を持っている私としては、大変興味深く読んだ。

物足りなく感じたのは、首都ローマの市民と皇帝の関係がイマイチ分からなかった点だ。これは、前巻位からなのだが、ローマ市民や元老院はまったく登場しなくなる。これを乖離したからだと単純に考えると皇帝が防衛線を一生懸命守っているのは何を守っているのだろう。単純に中世的に自分の領土を守っていると思えば良いのだろうか。まあ、この辺が古代ローマ帝国から中世国家への移行なのかもしれない。

「ローマ人の物語」の様な大部の書物を良く読めるなあ、と言われることがある。しかし、大部だからこそ読めるのだ。塩野七生は特に「ローマ人の物語」では、繰り返しを恐れない。前に何度書いたことであろうと、その場面で必要な情報は繰り返して提示する。専門家が読んだら、同じことをくどくどと繰り返して馬鹿にするな、かも知れないのだが、私のような素人は「そんなもの忘れている」「うろ覚え」「言われるまで関連に気づかない」のいずれかなので、繰り返してもらった方が分かりやすい。繰り返すとどんどん大部になって行くという寸法だ。繰り返しがお話を聞いている雰囲気を作り、いよいよ読みやすくなる。ディオクレティアヌス税制の話をするのに「アウグストゥス税制は第6巻で書いたから知ってるよね」と言われたら、全然読めなかったと思う。ローマ街道が高速道路網だなんて話は何回出て来たか。

ただ、最近の塩野七生の文章は、「ならば」の使い方がものすごく気になる。昔から使い過ぎだと思っていたのだが、この2・3年はいよいよ多くなって来た。大作家になってしまって、編集者が口を出しにくくなったのかなあと邪推しています。それさえなければ、ものすごく好きな文章なんだけどなあ。
 
大事な魔法が溶けて。。。。(2007/01/20)
西ローマ帝国が滅びた原因は、皇帝が空位になった瞬間に起こった
ローマ皇帝の権力の魔法が溶けて意味をなさなくなった
蛮族を屈服させその後自分の血や肉にしてきた帝国であるが、
周りの国を政略の毒で征服していたが、自分自身を滅ぼしてしまった
手と足と尻尾と胴体のない猫が頭までなくしたということです
すごく今も国際化について考えさせられる気がします
塩野先生の1行1行のこだわりがにじみ出てよかったです
ギボンのように続編を書けなくはないのでしょうが
つまらないだけなのでここでやめておいて正解であると思います
 
著しく変容を遂げてしまったローマ帝国(2006/02/02)
相次ぐ蛮族の進入に翻弄され、70数年のうちに22人の皇帝が相次いだ時代(『迷走する帝国』)を経た次の年代。
帝国を4分割し、4人の正帝・副帝により職務を分担する「四頭政」を導入し広大な国土を治めたディオクレティアヌス帝、キリスト教を公認しコンスタンティノポリスへの事実上の遷都を行ったコンスタンティヌス帝の2皇帝の治世を描く。
もはやここに至るとローマ帝国は著しくその内容を変容してしまうことに気づかされ、ある種の寂寥感を伴う。
著者は単に権力の興亡・皇帝の事績を追うだけではなく、シリーズの初期の巻の中で著者が礼賛したローマをローマたらしめていた数々の特性・社会制度・考え方が失われていく様を丁寧に描いていく。シリーズを通じての一大テーマ、「ローマ帝国はいかにして隆盛し、また衰退したのか」に繋がる一端に触れ、知的好奇心の冒険ができる
 
中世テイスト(2006/01/08)
私は初めて世界史を学んだとき、民主主義というものが実は近代ではなく、
2200年以上前のギリシャ文明によって作り上げられたシステムと
いうことを知って驚いたことを思い出します。

一神教システムより民主主義によるシステムは前提に無理がなく
論理的にすっきりしているシステムが一度なぜ使われなくなって
しまったのか、不思議に思った記憶があります。

ローマにしてみても、王政、寡頭政、帝政前期までは、
存在の証明不可能な神というものを前提にしきった政治システムに
なっていませんし、ここからどうやって一神教が絶対の前提になる
宗教システムが入りこんで暗黒の中世という時代になってしまったのかが、
この巻になるまでまったく連続性が感じられませんでした。

しかし、この巻になって職業、居住の自由がなくなり、
ギルドの前提となる組織体ができてきたりして、どんどん中世
らしくなってきています。

中世はローマによるシステム変更を引き継いでいる。
歴史はやはり連続しているのだなあと私はこの巻で腑に落ちました。

しかし、やはりアントニヌス勅令は大きかったですね。
これによってローマ市民権は属州も含めてすべて平等になってしまった。
それゆえ、人が人の上に立つ権威付けができなくなってしまった。
人は法の下に平等になってしまったがゆえに、すべての人にトップになる
チャンスがある。
権威の裏付けがないがゆえに皇帝がくるくる替わるようになってしまった。
だから、最終的に権威を導入するためにキリスト教に頼るようになった。

うーん。連続してますね。
 
最後の努力 (ローマ人の物語 13)
タイトル:最後の努力 (ローマ人の物語 13)
定価:\2,730
販売価格:\2,730
発売日:2004/12/22
著者:塩野 七生
出版社:新潮社
形態:単行本
在庫状況:在庫あり。
合計1,500円以上で送料無料!
※ 価格等のデータは日本時間 2009/08/14 05:00:10 時点のものです。

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